エッセイ · 嗅覚アート
ペーター・デ・クーペレ「Smoke Flowers」
Peter de Cupere. Smoke Flowers.
花の匂いを嗅ごうと身をかがめる。花は私たち自身の匂いを返してくる。
© Peter de Cupere · Peter de Cupere(公式サイト)
アルセナーレのそばの庭
2017年5月、第57回ヴェネツィア・ビエンナーレのオープニング週。アルセナーレのそば、Spazio Thetis の庭で、Natasha Pradhan のキュレーションによる展覧会 Command Alternative Escape が5月6日から13日まで開かれた。庭の中央に、ベルギーの作家 Peter de Cupere の作品が立っていた。Smoke Flowers。
一見すると、植物のあいだに育つ大小の本物の花。見破る手がかりは何もない。やがて、ときおり、花の中心から細い煙が立ちのぼった。
観客は近づき、どの花にもするように身をかがめた。嗅いだのは花ではなかった。産業による大気汚染だった。排気ガス、工場の煙。大都市で人々が毎日吸い、立ち止まって嗅ぐことのめったにない空気。
De Cupere はこの作品を、花の復讐と表現した。人が放った汚染そのものを、花が人に吐き返す。
花に煙を吐かせるまでの9年
この発想は、彼にとって新しいものではなかった。作品のプレスリリースによれば、Smoke Flowers の最初のドローイングは2008年にさかのぼる。本物の庭で花が本物の煙を放てるようになるまで、彼は約9年を研究に費やした。
香りは、大手の香料会社のひとつ IFF の協力でつくられた。プレスリリースには、作品のために汚染の匂いをつくった調香師の名前が挙がっている。Bernardo Fleming、Meahb Mc Curtin、Laura French、Gregoire Hausson、Marine Hetheier。
ここには示唆的な逆説がある。香水のために花や木や果物の匂いを組み立てる技に長けた人々が、誰も手元に置きたくない匂い、汚れた空気の匂いをつくるよう頼まれた。技は同じまま。向きだけが変わる。
煙は絶えず流れているわけではない。予告なしに、ときどき噴き出す。観客は、どの花が次に、いつ煙を出すのかわからない。その予測のできなさが人を近くに留め、待たせ、嗅がせる。
汚染はどんな匂いがするのか
大気汚染は、ふつう数字で語られる。粒子状物質の値、排出量、赤とオレンジの地図。数字は大切だが、遠い。それは画面の中にあり、鼻の中にはない。
De Cupere は汚染を、体が認識できる形に戻す。数字ではなく匂いとして、最も予期しない場所に置く。花々のあいだ、庭の中に置かれると、その匂いは都市の空気に溶けているときよりはるかにはっきりする。
都市に住む人は、吸っている空気の匂いを嗅がなくなることが多い。鼻は慣れ、やがて注意を払うのをやめる。Smoke Flowers はその匂いをなじみの背景から持ち上げ、新しい枠の中に置く。花のある、静かできれいな枠。長く無視されてきたものが、無視しにくくなる。
作品は、犠牲者としての自然についても語る。花は私たちと同じ空気を吸っている。花が耐えなければならないものを吐き返せるとしたら、それはこんな匂いかもしれない。
歓迎されない匂いの作家
Peter de Cupere は、匂いを主な素材としてきた作家のなかで、最も長く活動している一人だ。彼はしばしば、人が避けたがる匂いを扱う。見知らぬ人の匂い、煙の匂い、都市の匂い。Smoke Cloud では、観客にはしごを登らせ、排気ガスの匂いのする雲の中に頭を入れさせた。Smoke Flowers はその発想を縮め、ひとつの花の中に置く。
2018年、Smoke Flowers は Art and Olfaction Awards の Sadakichi Award(香りを用いた実験的作品を顕彰する賞)の最終候補となった。
この作品が心に残るのは、反転の単純さゆえだ。長い説明文も、スクリーンもない。一輪の花、ひと筋の煙、身をかがめる鼻。観客はその匂いを庭の外へ持ち出し、もしかすると初めて、帰り道の空気に気づく。