エッセイ · 嗅覚アート
ペーター・デ・クーペレ「Salt Flowers」
Peter de Cupere. Salt Flowers.
塩のように白い花。だが、ここに塩はひとつもない。
© Peter de Cupere · Peter de Cupere(作家公式サイト)
海になった川
2017年、オランダのアイセル・ビエンナーレは気候変動をテーマに掲げた。23人の作家が、アイセル川にとってのその帰結をどう見るかを問われた。会期は6月14日から9月24日まで。
20年以上匂いを扱ってきたベルギーの作家 Peter de Cupere は、極端なシナリオを選んだ。海面が上がり、アイセルの谷が海水で満たされる。淡水は塩水になる。既存の生態系は死ぬ。
そのシナリオの中で、彼は生き延びるためのユートピア的な方法を探す。極地の白い氷冠は溶けてしまった。だから海から得た塩の白い冠に置き換える。塩から新しい自然をつくる。植物、果物、野菜、花、すべて白。
その自然の中のひとつひとつに、固有の匂いがある。作家の言葉では、匂いがそれぞれにアイデンティティを与える。形はみな同じ白を共有している。見分けさせるのは匂いだけだ。
5つの花、どれも本物ではない
ビエンナーレで De Cupere は5つの Salt Flowers を展示した。純白で、粒が陽の光にきらめく。彼は小さな粒を安定した形に固める方法を見つけていた。観客はそれが塩だとほぼ確信していた。
観客は間違っていた。どの花もガラスの粒でできていた。
形だけでなく、匂いも欺く。3つの花は新鮮な匂い、ときに新鮮すぎる匂いがする。実はそれはトイレの芳香剤と洗濯用品の匂いで、合成的な意味での花の香りだ。ひとつは人工のラベンダーをまとい、畑に咲く植物からは遠い。
残りの2つは悪臭を放つ。ひとつは血粉から作られた有機窒素肥料の匂い。もうひとつはチョウザメの餌の匂い。どちらも生産の匂いだ。農業と養魚、人が土と水に加えるものに依存する二つの産業。
自然が去ったあとに残るもの
Salt Flowers は知覚の問いを軸につくられている。私たちはどう物を感じ取るのか。見ているもの、嗅いでいるものを正確に知ることは、どれほど大切なのか。作品は、二つの感覚が同時に欺かれうること、そして観客が物の前に長く立っていても、それが何でできているか見当もつかないことがあると示す。
二つの匂いのグループは、二つの異なる論点を示す。心地よい匂いは、気候が変わり続けたら何が残るかを見せる。花の匂いが洗濯用品のボトルの中にしか残らない世界。不快な匂いは原因に向かう。与えたものが返ってくる、という考えとともに、作家は環境政策と経済、肥料の使いすぎ、魚の過剰な養殖を問う。
同じ年、ヴェネツィア・ビエンナーレのオープニング週に、De Cupere はこの流れにある別の作品をつくった。煙と大気汚染の匂いを放つ本物の花。まるで自然が復讐しているかのように。
Salt Flowers はもっと静かだ。煙も、動きもない。まだ淡水の川のそばに、白い花が5つあるだけ。観客は身をかがめて匂いを嗅ぎ、自分の浴室にある何かに気づく。作品はそれ以上語る必要がない。作品が想像する未来は、一部はすでにここにある。毎日使う物の中に。