エッセイ · 嗅覚アート
野々村仁清「香炉」。
Nonomura Ninsei. Incense Burner.
かつて息が通ったところを、いま香煙が通る。
© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
山伏の法螺貝
この香炉はロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵で、登録番号は 260-1877。1660年頃から1680年頃のあいだに京都の御室窯で作られた。炻器で、点描した鉄釉の下絵付けの上に透明釉がかかる。底の印には「仁清」とある。
形は法螺貝。V&A によれば、山伏、すなわち山中に暮らし修行した行者たちが携えた法螺貝を写している。彼らは大きな海の貝でつくった法螺を吹き、その音は谷々に響いた。
香炉は高さ11.5 cm、幅27.6 cm、奥行15.7 cm。机の上に休む貝のように、横たわっている。三つの部分からなる。胴、蓋、そして内側に収まる落とし。
釉の下の茶色の点描が表面にまだらを散らし、本物の貝を思わせる。色は最小限に抑えられている。上から描かれたものは何もない。注意はすべて形に向かう。螺旋、開いた口、胴の曲線。
仁清と御室窯
野々村仁清は号である。本名は野々村清右衛門、1640年頃から1690年頃にかけて活動した。1647年、京都の北西、仁和寺の近くに御室窯を開いた。
V&A によれば、1660年代から1670年代にかけて、仁清は絵画に近い、きわめて色彩豊かな上絵付けの様式を発展させた。上絵の色は、描かれた面のように土の上に重なった。花、山、金と銀。
この香炉は逆の方向へ向かう。色はほとんどなく、透明釉と鉄の茶色だけ。V&A はこれを、色調の抑制と形の奔放さの組み合わせと評する。仁清は物を際立たせるために描く必要がなかった。形にそれをさせた。
底に押された名は注目に値する。当時の陶器の多くには作り手の名がない。この小さな印は、物をひとりの人、ひとつの窯、ひとつの様式に結びつける。三世紀半後、美術館はいまもその名を読み、記録に書き込む。
京都からフィラデルフィアへ
V&A の記録は長い旅を辿る。香炉は1876年のフィラデルフィア万国博覧会で日本の事務官から購入され、1877年に所蔵品となった。窯を出ておよそ二世紀後、それは西洋の来場者の前で京焼を代表するものとして日本を離れた。
明治時代、日本政府は大量の工芸品を万国博覧会に送った。新しく作られた作品と並んで、仁清の印のある17世紀の香炉があることは、日本が見せたかったのは自らが作っているものだけでなく、自らの根と考えるものでもあったことを示している。
日本では、このような陶の香炉は茶室や座敷に置かれ、小さな空間で香が静かに焚かれた。ロンドンでは、煙もなくケースに収まっている。訪れる人は法螺貝の形を見るが、音は聞こえず、何の匂いもしない。
この香炉が記憶に値するのは、ともに消えてしまった二つのものを抱いているからだ。写した法螺貝の音。そしてかつて放った香の匂い。残るのは焼かれた土と透明釉、そして作り手の名を記した小さな印。