エッセイ · デザインとしてのファッション
「Paul Poiret: Fashion is a Feast」。
Paul Poiret: Fashion is a Feast.
一着のドレスがゆるむと、ひとつの世界がそれに続く。
五百五十の物
「Paul Poiret: Fashion is a Feast」は2025年6月25日から2026年1月11日まで、パリ、リヴォリ通り107番地のパリ装飾芸術美術館で開かれた。服、装身具、美術と装飾美術、およそ550点が集められた。
キュレーターは、MAD の1800年から1946年までのファッションとテキスタイルのコレクションを担当するマリー=ソフィー・カロン・ド・ラ・カリエール。アシスタント・キュレーターはマリー=ピエール・リビエール。アートディレクターはアネット・レンツ。空間デザインは Christopher Dessus と atelier Paf による。
ポール・ポワレは1879年に生まれ、1944年に没した。1898年、ジャック・ドゥーセのもとで修業した。1901年、ウォルトのメゾンに入った。1903年、自らのメゾンを開いた。数年のうちに、その名はパリの女性の装いを大きく変えた出来事と結びついた。
展覧会はこれを伝記として語らない。彼が何を、誰とつくったかを並べ、ひとつの創造的な生がどこまで広がりうるかを来場者に見せる。
コルセットを捨てる
二十世紀のはじめ、流行の女性服はまだコルセットに頼っていた。胴をきつく形づくる枠である。ポワレは、身体とともに落ちる流れる線を、鮮やかな色で差し出した。MAD はこれを、窮屈なコルセットから身体を解き放つこと、と説明する。
名の挙がる作品のなかに、1907年のイブニングガウン「Joséphine」がある。MAD が「マニフェスト」コレクションと呼ぶものからの一着だ。その名が多くを語る。ひとつの美しいデザインではなく、どう装うかについての宣言だった。
それから、1908年ごろのイブニングドレス「Mosaïque」。1910年ごろのイブニングコート。そして画家ラウル・デュフィとつくった1911年のコート「La Perse」。このコートで、布はもはや縫うだけのものではない。絵を描く表面になる。
コルセットがなくなると、身体は自分のリズムで動ける。服はもう姿かたちを命じない。それに従う。単純に聞こえる変化だが、女性の座り方、歩き方、息の仕方を変えた。
幾皿もの宴
題名の「宴」は文字どおりの意味だ。ポワレは自ら催す宴で知られていた。そのひとつが「La Mille et Deuxième Nuit」、千二夜である。1925年の国際博覧会には、セーヌ川に係留した三隻の艀で参加した。
けれど、より大きな宴は、分野を結びつけるそのやり方だった。1911年、彼はマルティーヌ学校を創設し、貧しい家庭の少女たちにデザインを教えた。同じ年、「Les Parfums de Rosine」を創設した。画家、彫刻家、装飾家と協働した。ポール・イリーブ、ラウル・デュフィ、モーリス・ド・ヴラマンク、ジョルジュ・ルパップ、ルイ・シュー、レオン・バクスト。
だから展覧会は、ファッション、装飾美術、香水、食べものを巡っていく。それぞれが同じ食事の一皿。ドレス、香水、プリントの布、演出された夜。どれも色と自由と歓びという、ひとつの言葉を話す。
ポワレが記憶に残るのは、たぶんそのためだ。彼は服を切り離された仕事として扱わなかった。彼にとって美は住むための空間だった。肌に触れる布から、部屋の香り、川の上の夜まで。