エッセイ · 現代アート

ピエール・ユイグ(Pierre Huyghe)。「Untitled (Human Mask)」。

Pierre Huyghe. Untitled (Human Mask).

人は去った。習慣は残る。

ピエール・ユイグ「Untitled (Human Mask)」:見捨てられたバーのなかの、白い仮面とかつらをつけた猿

グッゲンハイム美術館ビルバオ · Guggenheim Museum Bilbao



空っぽのバーの猿

「Untitled (Human Mask)」は、ピエール・ユイグが2014年に制作したシングルチャンネルの映像作品で、長さは約十九分。登場するのは一匹の猿だけ。能を思わせる白い面をつけ、女性のかつらをかぶり、白いシャツと女子学生の制服のようなスカートを身につけている。

猿は薄暗い室内を動く。誰もいなくなったバー。家具はまだそこにある。猿は歩き、立ち止まり、座り、また歩く。もう誰も呼ぶ者のいない場所で。

台詞はない。ほかに誰も現れない。カメラは俳優を追うように動物を追う。だが動物は誰のためにも演じていない。

映像は、福島の津波と原子力災害で荒廃した地域で撮影された。画面ではそのことは何も説明されない。観る人に見えるのは、人が去った場所と、残った一匹の生き物だけ。

実話から

ユイグは読んだ話から出発した。日本には、昔ながらの居酒屋で客に給仕し、客をもてなすよう仕込まれた猿がいた。おしぼりや飲み物を運び、店員のようにテーブルのあいだを動いた。

その細部から、彼はひとつの問いを組み立てた。人がみな去ったら、人間の習慣を覚えた動物はどうするのか。教えられた仕草を続けるのか。それとも猿に戻るのか。

映像ははっきりとは答えない。ある瞬間、猿はほとんど勤務の始まりを待つ誰かのように見える。別の瞬間には動物にしかできない動き方をして、まぎれもなく動物だ。二つの状態が、ひとつの身体に、ひとつのフレームに同居している。

作品は LACMA とメトロポリタン美術館の共同所蔵。2017年にはグッゲンハイム美術館ビルバオが、3月末から7月中旬まで「Film and Video」ギャラリーで展示した。

人、動物、仮面

ユイグはしばしば生き物と仕事をする。ハエと映像がひとつの部屋を分け合うUUmweltのように。彼が生き物を小道具として扱うことはまれだ。環境を整え、ことが起こるにまかせる。「Human Mask」の猿は台本に従わない。カメラは待つ。

だからこの映像は、名づけがたい感覚を運ぶ。これが動物だと私たちは知っている。だが目を見開き、表情の動かない仮面が、それを人として読むほうへと私たちを引き寄せつづける。小さな動きのひとつひとつが感情として見えてしまう。悲しみ、退屈、孤独。

これがユイグの仕掛けた罠だ。私たちは動物を見て、自分自身を見る。見捨てられた場所の悲しみをそこに与える。だが猿は悲しいのか。猿はただそこにいる。知っている部屋に。

作家は、この逆説に関心があると語っている。ほとんど超現実的な状況で動物のふるまいを見ることが、現実と人間の条件を考える方法になる、と。

なぜこの映画は残るのか

「Human Mask」は災害を映さない。洪水も、崩れる家もない。惨事はフレームの外にある。内側にあるのは、その最も小さな帰結だけ。静かな部屋、止まらない習慣。

その間接的な語り方が、この映像を多くのニュース報道より重くする。何人が去ったのか、どこへ行ったのか、なぜなのかは語られない。私たちが見るのは、もう誰も必要としない仕事を続ける一匹の生き物だけ。

題名は「Untitled」。括弧の中の「Human Mask」は、顔を覆う物の名前でしかない。ユイグは猿にも場所にも名前を与えない。すべてが開かれたまま残される。部屋そのもののように。

映像が終わったとき、観る人に残るのはたいてい特定の像ではない。見捨てられた場所の内側の時間の感覚だ。ゆっくりと、繰り返し、動物とレンズのほかには誰にも見届けられない時間。