エッセイ · 嗅覚アート

プークワ「Man Making Incense Sticks」

Puqua. Man Making Incense Sticks.

煙になる前、線香は一対の手の仕事である。

Puqua「Man Making Incense Sticks」。長い茶色の板の端に座る青い服の男、その背後に線香を積んだふたつの台。広州、1790年ごろ

© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)



男がひとり、板が一枚、線香を積んだ台がふたつ

ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館は、紙に水彩と墨で描かれた36×46 cmの絵を所蔵している。題は「Man Making Incense Sticks」。博物館は画家を Puqua、場所を広州、年代を1790年ごろと記す。

目録は数行で絵を説明する。中央の人物は青い服を着て、長い茶色の板の端に座っている。その背後、ふたつの台の上に線香の山。風景もなく、物語もない。働き手と、仕事場と、仕事があるだけ。

彼が工程のどの段階にいるのか、絵ははっきりとは語らない。Penta は推測しない。見えるのは比率である。長い板、大きな山、小さく静かな男。この絵が示す線香作りは、反復の仕事だ。一本、また一本、やがて何百本、台が埋まるまで。

博物館はこの絵を Parsons & Sons から購入し、1898年に登録した。2003年に上海で出版された、V&A の中国輸出絵画を扱う本「Souvenir from Canton」にも図版が収められている。

広州の百の生業

「Man Making Incense Sticks」は一枚だけで立っているのではない。V&A によれば、これは100枚の連作に属し、それぞれが広州のひとつの生業や職業を描く。紙漉き、両替商、占い師、仕立屋、矢師、傘直し、鳥売り。

そして香に関わる絵がもう一枚ある。「Man Selling Incense Sticks」。やはり青い服の男が、今度はふたつの朱色の箱のあいだに立つ。二枚は大きさも、年代も、博物館に入った年1898年も同じ。並べると、一本の道の両端が見える。香が作られる場所と、売られる場所。

V&A はこうした絵が存在した理由を説明する。中国とその人々についてもっと知りたいヨーロッパ人のために作られたのだと。18世紀後半、広州は西洋の商人が中国と交易を許された主要な港だった。彼らは茶、絹、磁器を買い、絵も買った。街の一部を持ち帰る手段として。

生業の連作は一種の絵辞典だった。一頁に一つの生業。ロンドンやアムステルダムの鑑賞者は頁をめくり、たどり着くことのないかもしれない街を見た。彼らは線香を作る男を見た。線香の香りは嗅げなかった。

煙を作る男

香りの美術史で出会うのは、たいてい物である。香炉、香箱、瓶。素材が貴重だったから残された美しい物。香を作った人々はめったに現れない。彼らは線香に署名しなかった。線香は燃え尽き、その作り手も一緒に消える。

Puqua の絵は小さな例外だ。働き手を讃えるためではなく、外国人に彼を説明するために描かれた。だがそのおかげで、内側の人々なら記録に値するとは思わなかったかもしれない光景が残った。火のついていない線香の山に囲まれた、ありふれた仕事の一日。

日本では近年、線香作りがカメラで記録されている。淡路の線香工房のように。だが1790年の広州にカメラはなかった。あるのは水彩と紙と、今日ほとんど何も知られていない Puqua という画家だけ。V&A は彼の名を記録し、ある箇所では Paqua と綴っている。

二世紀以上が過ぎても、青い服の男はまだ板の端に座っている。背後の山にはまだ火がついていない。これからもつくことはない。香りになる前の状態に留められた香り。