エッセイ · 嗅覚アート
リチャード・ウィルソン「20:50」
Richard Wilson. 20:50.
目は鏡を見る。鼻は、それが油だと知っている。
提供:Matt's Gallery;© Richard Wilson · Matt's Gallery, London
型としての部屋
1987年2月7日から22日まで、リチャード・ウィルソンは、当時ロンドンのマーテロ・ストリートにあった Matt's Gallery で二度目の個展を開いた。彼はギャラリーを約200ガロンの使用済みエンジンオイルで満たした。オイル交換のときにエンジンから抜かれる、あの油である。
Matt's Gallery によれば、部屋そのものが油の型になった。ウィルソンは空間の中央に槽をつくったのではない。部屋を密閉し、決められた高さまで油を満たして、隅々まで行き渡らせた。できあがったのは水平の面。黒く、完全に映す面だった。
入口から鋼の通路が延びていた。進むほど細くなり、奥へ歩くほど、油が両側から迫ってくる。突き当たりでは、ふたつの部屋のあいだに浮かんでいるように思える。上には本物の部屋、下には映った部屋。まったく同じ。
同じ展覧会で、隣の壁に、ウィルソンは氷のかたまりを置いた。油と氷。液体と固体が、時間を止めるふたつの異なる方法として並べられた。
オイル缶の数字
タイトルの「20:50」は時刻ではない。ウィルソンが使った再生エンジンオイルの等級、缶に印刷された粘度の番号から来ている。だからタイトルは何の物語も語らない。ただ素材の名を告げる。
使用済みのエンジンオイルは、人が遠ざけておくものだ。黒く、べたつき、洗っても落ちない。シャツに一滴つけば、消えない染みになる。修理工場では廃棄物。ウィルソンの部屋では、誰も見たことがないほど鏡に近いものになった。
そして、匂う。「20:50」に入って、それに気づかない人はいない。エンジンオイルの匂いが空気に濃く漂う。重く、かすかに甘く、ガレージや高速道路や熱いエンジンの記憶を運んでくる。像は純粋だ。匂いは訪れる人を、素材の生まれた工業の世界へ引き戻す。
ふたつの感覚が、同時にふたつの違うことを言う。目は言う。これは空間であり、光であり、幾何学だと。鼻は言う。これは何千マイルもの道路の残りかすだと。作品は、そのふたつの言葉が出会うところに生きている。
ロンドンからタスマニアへ
同じ1987年、「20:50」はチャールズ・サーチ(Charles Saatchi)のコレクションに入った。その後の数十年、ロンドンのいくつものサーチ・ギャラリーの空間に設置され、そのたびに新しい部屋の大きさに合わせられた。部屋が型である以上、油の形は設置のたびに変わった。
のちに作品は、タスマニアの MONA(Museum of Old and New Art)に収蔵された。そこでは美術館の一部として長期設置され、移るたびに抜いて満たし直すことはもうない。かつて東ロンドンの小さなギャラリーを満たした油のかたまりは、いま世界の反対側で休んでいる。
「20:50」について心に残るのは、何も語る必要がないということだ。人物も、象徴も、文字もない。あるのは素材と部屋、そしてそのあいだを訪れる人が歩く、その歩き方だけ。ウィルソンは素材に仕事をまかせた。油は自ら水平になり、自ら映し、自らの匂いを放つ。
ほかにも、匂いで人を部屋へ引き込み、それから揺さぶるインスタレーションがある。シルド・メイレレス(Cildo Meireles)の「Volátil」にあるタルクとガスの匂いのように。「20:50」は誰も脅かさない。ただ思い出させる。部屋でいちばん美しいものは、いちばん汚れたものでもあること。そして鼻だけが欺かれない感覚であることを。