エッセイ · 現代アート
ロバート・ゴーバー「Untitled」。
Robert Gober. Untitled.
わずかな肌があれば、誰かがそこにいるとわかる。
Tate · Tate
隅の脚
ロバート・ゴーバーはこの作品を1989年から1992年にかけて制作した。題はない。所蔵するテートは、ただ「Untitled」と記している。
見る人の前にあるのは、膝から下の人間の脚。床に近い壁の根もとから突き出している。濃い色のズボン、灰色のウールの靴下、紐を結んだ革靴。ズボンと靴下のあいだに、毛の生えた肌の帯がある。
作品の大きさは約30×16×51.5センチ。本物の脚の大きさ。拡大も縮小もされていない。
テートは素材を、蝋、木、革、布、人毛と記す。どれにも理由がある。靴は革、ズボンと靴下は布、脚は蝋。
蜜蝋、一本ずつの毛
ゴーバーは制作の過程を淡々と語っている。脚は、自分の下腿を漂白した蜜蝋で型取りしたもの。毛は本物の人毛で、かつらの業者から買った。
毛は温めた蝋に一本ずつ差し込まれた。彼とアシスタントたちが、アトリエで試行錯誤を重ねて考案した道具で。
その過程が、作品がこれほど落ち着かない理由を説明する。蝋には肌に近い透明感がある。毛は正しい向きと密度で生えている。見る人は彫刻ではなく、脚を見る。そのあとでようやく、それが誰のものでもないと気づく。
テートによれば、これはゴーバーが2年のあいだにつくった約10点の脚の作品のひとつ。考えは共通し、置き方が異なる。横たわるもの、壁から突き出るもの、奇妙な物が取りつけられたもの。
2つの記憶
ゴーバーは、このシリーズが2つの記憶から生まれたと語っている。
ひとつめは、幼い頃に母が話してくれた出来事。母は看護師だった。ある日、手術室で、切断されたばかりの脚を手渡されたという。子どもはそれを聞き、覚えていた。
ふたつめは大人になってから。飛行機で、隣の乗客が脚を組むと、ズボンがずり上がり、裾と靴下のあいだにむき出しの肌がのぞいた。小さく、ありふれた光景。けれど、それは残った。
作品はこの2つの記憶を重ね合わせる。ひとつは切り離された身体。もうひとつは、公の場で偶然あらわになった私的な肌。隅の脚はその両方だ。誰かから切り離されたものでもあり、壁の向こうに座り、その一部だけが見えている人のようでもある。
見慣れたものを、見知らぬものに
ゴーバーはよく、ごく身近な物を扱う。流し台、扉、ベッド、新聞の束。本物に見えるが使えなくなるまで、ゆっくりと丁寧につくり直す。脚も同じ系譜にある。毎日目にするものを、思いもよらない場所に置く。
ゴーバーがこれらの脚をつくった1980年代末から1990年代初めは、エイズがニューヨークの美術界で多くの命を奪っていた時期でもある。多くの書き手が、彼の作品の切り離された身体をその喪失と結びつけて読んできた。作品は何も直接には語らない。見る人のために余白を残す。
テートはこの作品を、不気味なものやシュルレアリスムをめぐる展覧会で展示してきた。たとえば2004年、テート・リバプールでの「Mike Kelley: The Uncanny」。2024年からは、テート・モダンの展示「Materials and Objects」に専用の一室をもつ。
蝋はこの作品を現代アートのもうひとつの流れと結びつける。蜜蝋をその生きた質のために用いる流れだ。ヴォルフガング・ライプの、蝋で覆われた部屋のように。ゴーバーでは、蝋は部屋を満たさない。床の近く、人がふだん目を向けない場所で、小さな肌のひとかけらへと縮む。