エッセイ · 写真

ロバート・メイプルソープ「Calla Lily」。

Robert Mapplethorpe. Calla Lily.

彫刻のように見られた花。

ロバート・メイプルソープ「Calla Lily」:無地の背景に一輪のカラー、白黒のゼラチン・シルバー・プリント

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一輪の花、無地の背景

「Calla Lily」は1986年に撮られた白黒のゼラチン・シルバー・プリント。正方形の枠の中に、一輪のカラー。長い茎、漏斗状に巻いた花びら、中央から伸びる肉穂。白黒ではそれもただ明るい形にすぎない。背後には無地の背景。ほかには何もない。

ロバート・メイプルソープは晩年、カラーを何度も撮った。グッゲンハイムは同じ題の数枚のプリントを所蔵し、ゲッティなど他の美術館も所蔵する。偶然の一枚ではなく、彼が繰り返し戻った主題だ。

光は注意深く置かれている。花びらの縁に沿って走り、漏斗の内側を影に沈める。花には量感があり、ほとんど触れられそうだ。見る人が見ているのは庭に生きる花ではなく、台座に据えられた物である。

花、肖像、彫像

メイプルソープは1946年にニューヨークで生まれ、1989年に亡くなった。肖像、ヌード、そして物議を醸した身体の写真で広く知られる。花は同じ実践のもうひとつの枝だった。彼は花をスタジオで、照明の下、背景幕の前で撮った。モデルを撮るのと同じやり方で。

グッゲンハイムが彼の作品を紹介したとき、三つの主題を並べた。ヌード、花、彫像。共通するのは古典的な精神。身体は大理石のように撮られる。花は身体のように。彫像は生きた人のように。すべてが量感と輪郭と表面に帰着する。

彼の花を説明するオークションハウスや美術館は、ひとつのことを指摘しがちだ。どの花も盛りの、まっすぐ張りつめた瞬間にとらえられている。垂れた花びらも、しおれもない。花が盛りを過ぎるのを待ったアーヴィング・ペンとは、まったく違う見方だ。メイプルソープは完璧を探し、それを光で築いた。

正方形の枠も助けになる。ゲッティの「Calla Lily」のプリントは辺が等しい。正方形ではどの方向も勝たない。花は中央に、均衡を保って立つ。紋章のように。

なぜカラーなのか

カラーはとても単純な形をしている。巻いた花びらが一枚、まっすぐな茎、群がる花びらはない。すっきりした線を求める写真家にとって、ほとんど出来合いの幾何学だ。

西洋の文化では、多くの意味も背負っている。婚礼、葬儀、純潔。メイプルソープはそのどれも語らない。写真の中に婚礼や葬儀を指すものは何もない。差し出すのは形だけで、意味は見る人が持ち込む。

彼の花に官能を見る人もいる。同じ写真家が身体を同じように照らしたからだ。静けさだけを見る人もいる。どちらの読みにも余地がある。写真は誰の代わりにも選ばないから。

美術館の中の写真

1993年、ロバート・メイプルソープ財団は、美術館が選んだ200点を超える作品を資金とともにグッゲンハイムに寄贈した。この寄贈が美術館の写真プログラムを立ち上げ、彼の名を冠したギャラリーが生まれた。「Calla Lily」のプリントを含む多くの花の写真が、そのコレクションに属する。

それはこのような写真にとって大事なことだ。写真は花の写真集の中ではなく、近代美術の美術館で絵画や彫刻の隣にある。美術館はそれを、ただの美しい画像ではなく、形についての作品として扱う。

いま見ても、「Calla Lily」は沈黙を保っている。花はとうにしおれた。その形は銀の紙の上で静かに立っている。残るのは花ではなく、ひとりの人がそれをどう見ると決めたか、その見方だ。