エッセイ · 現代アート
ロニ・ホーン「Gold Field」。
Roni Horn. Gold Field.
金。ただ金だけ。
床の上の金の板
ロニ・ホーンは1980年から1982年にかけて「Gold Field」を制作した。所蔵するソロモン・R・グッゲンハイム美術館によれば、素材は純金、寸法は124.5 × 152.4 × 0.002 cm。最後の数字が厚さで、100分の1ミリをわずかに超えるだけ。
金は焼きなまされ、長方形に圧延された。台座も額も覆いのガラスもなく、床にじかに置かれる。グッゲンハイムはこれを、ほとんど体積のない彫刻と呼ぶ。美術館によれば、より正確には、彫刻というより金という素材そのもの。作家の言う、金の単純な物理的実在である。
これほど薄いと、金はもう重い延べ棒には見えない。床に置かれた光のひとかけらに見える。部屋に入った人はまず色を見て、それから物だと気づき、その薄さを確かめるために身をかがめることになる。
質屋の娘
ホーンは質屋の娘である。グッゲンハイムによれば、彼女は幼い頃から金に魅せられていた。とりわけ、人が金に神話と経済の意味を幾重にも背負わせてきたことに。
金はおそらく、最も多くの物語を背負う素材である。貨幣であり、持参金であり、王冠であり、金庫にしまわれグラム単位で量られるもの。金を見て、ただ金だけを見る人は少ない。
「Gold Field」で、ホーンはその層を剥がそうとした。見る者が媒介なしに素材と出会うこと。見るもの、ほとんど触れるものとして。宝飾品に鋳られず、硬貨に打たれず、延べ棒として積まれず。ただの平面。とても薄く、とても広く、見る者の足もとに横たわる。
金を床に置くことも、ひとつの選択である。貴重なものはふつう高く掲げられ、ケースに入れられ、照らされる。ホーンはそれをできるかぎり低く置いた。埃や足音と同じ高さに。
フェリックスのための地平線
意味を剥がしても、作品は空にならない。グッゲンハイムは、「Gold Field」が比喩的な読みを拒まないと書く。ふさわしい観者を待っているのだと。
その観者がフェリックス・ゴンザレス=トレスだった。彼が初めて「Gold Field」を見たのは1990年、ロサンゼルス現代美術館でのこと。パートナーのロスがエイズで死に向かい、社会と政治の空気がほとんど絶望的に感じられていた時期だった。
ゴンザレス=トレスはのちにその金について書いた。そこに新しい風景を見た、と。ありうる地平線、休息と美の場所、夢を見て、力を取り戻し、挑むための場所。彼の文章「1990: L.A., The Gold Field」は、1996年にウェクスナー芸術センターが刊行したロニ・ホーンのカタログ「Earths Grow Thick」に収められた。
ゴンザレス=トレス自身も、ロスをつなぎとめるために壊れやすい素材で作品をつくった。たとえば「"Untitled" (Portrait of Ross in L.A.)」のキャンディの山。二つの作品を並べて読むと、床の上の一枚の金がなぜ彼の深くに届いたのかがわかる。
ほとんどそこにないほど薄い
「Gold Field」は奇妙な境界に立っている。貴重な素材でできていながら、ほとんど厚みがないほど薄く打ち延ばされている。幅は1.5メートルを超えるのに、嵩がない。彫刻でありながら、ほぼすべてが表面である。
その薄さが、作品を壊れやすくする。塵ひとつ、折り目ひとつ、足跡ひとつが跡を残しうる。だからだろうか、観者は少し離れて立ち、長く見つめ、息を浅くする。
40年以上が過ぎても、「Gold Field」は最初の問いを保っている。物語を語らずに物を見ることはできるのか。できないとすれば、その物語は物についてのものか、それとも見ている私たち自身についてのものか。