エッセイ · 写真
サミュエル・フォッソ「Tati」
Samuel Fosso. Tati.
衣装は変わる。着る者はひとりのまま。
© 作家、JM Patras/Paris 提供 · Aperture
バンギの写真館から
サミュエル・フォッソはカメルーンに生まれた。1975年9月14日、中央アフリカ共和国の首都バンギに写真館を開き、Studio Photo Gentil と名づけた。客の肖像を撮った。そして同じ部屋、同じ背景の前で、自分自身を撮りはじめた。
その小さな部屋から、生涯の実践がはじまった。フォッソは服を替え、写真館の背景の前に立ち、ポーズを試し、役を試した。彼にとってセルフポートレートは、自分の見た目の記録ではなかった。ありえたかもしれない人々を演じる、小さな舞台だった。
およそ二十年後、その方法は彼をパリへ連れていく。そして、誰も予想しなかった方向へ進む依頼へ。
向きを変えた依頼
1997年、パリのバルベス地区にある有名な安売り百貨店 Tati が創業50周年を迎えた。店はフォッソを、西アフリカの写真館ポートレートの二人の巨匠、セイドゥ・ケイタとマリック・シディベとともに招いた。計画はこうだ。店内にアフリカの写真館を再現し、通行人の白黒ポートレートを撮る。
フォッソは計画に従わなかった。店で売られている服と小物を使い、十点のカラーのセルフポートレートを撮った。一枚ごとに、ひとりの登場人物。
ここで少し立ち止まる価値がある。ケイタとシディベは他者を撮ることで知られ、モデルに自分自身の美しい像を与えた。フォッソは同じ種類の写真館で、ただひとりだけを撮った。
並べると、西洋の想像力の衣装だんすのように読める。ロッカー。実業家。La Bourgeoise。七十年代の解放されたアメリカ女性。水兵。海賊。ゴルファー。ライフガード。
そしてもっとも論じられた一枚、Le Chef。アフリカを入植者に売り渡した首長。フォッソは鮮やかなワックスプリントの背景の前で動物の毛皮をまとう。堂々として、同時に疑わしい。この像は部族の指導者への敬意であり、植民地主義のもとでの権力の誘惑への批判でもある。
役とアイデンティティの問い
一見、「Tati」は遊び心に満ちている。明るい色、誇張されたポーズ、衣装に近い服。けれど、まとめて見ると真剣なことを問う。誰が誰になることを許されるのか。実業家、水兵、フランスのブルジョワ女性の装いをしたアフリカの男。それらの服は、西洋が自らについて、そして他者について描いた類型に属している。
2017年に Aperture に掲載されたキュレーター、イヴ・シャタップとの対話で、フォッソは自らの作品を、隔離と奴隷制についての言説であり、独立と自由の要求だと語った。安売り店の服が、その問いのための道具になる。
「Tati」はより大きなシリーズへとつながった。2008年の「African Spirits」では、公民権闘争の歴史的人物になった。2013年の「Emperor of Africa」は、アフリカにおける中国の経済的な影響をめぐる。2015年の「SIXSIXSIX」は、666点の一点ものセルフポートレート。
そのすべてを通して、顔はフォッソのものだ。衣装も役も背景も変わる。けれどレンズの前に立ち、シャッターを押す人は、ひとりのまま。「Tati」がもっともはっきり示すのは、おそらくこのことだ。アイデンティティは衣装にあるのではない。それを着ると決める者にある。