エッセイ · 現代アート
シーラ・ゴウダ「Behold」。
Sheela Gowda. Behold.
一本の髪でも、何かをつなぎとめられる。
Tate · Tate
4キロの髪
「Behold」は、シーラ・ゴウダ(Sheela Gowda)が2009年に制作した大型のインスタレーション。テートによれば、手で結ばれた約4キロの縄と、およそ20個の車のバンパーからなる。縄は人の髪で編まれている。
バンパーは壁に掛けられる。ひとつだけのもの、群れになったもの。髪の縄は金属に結びつけられ、バンパーのあいだを大小ふぞろいの輪を描いて続いていく。残りは床に山や渦となって溜まり、天井から垂れることもある。
作品に決まった大きさはない。ギャラリー全体を占めることも、壁の一区画だけに収まることもある。設置のたびに、新しい配置になる。
遠くからは、白い壁に引かれた柔らかな黒い線が見え、ところどころを鋼の明るい塊が断ち切る。近づくと、その線が髪だとわかる。
二つのお守り
ゴウダは南インドのカルナータカ州、ベンガルールに暮らす。そこでは髪もバンパーもなじみの物。事故や不運を避けるために、短い髪の房を車のバンパーに結ぶことがよくある。通りで目にする、日々の習慣。
髪には寺院での暮らしもある。巡礼者は誓いを果たすとき、謙虚さのしるしとして頭を剃る。髪は寺院に納められ、一部はお守りに編まれ、一部は売られる。長く黒い、手を加えていないインドの髪は、かつらや美容製品に使うケラチンのために求められ、その多くが西洋へ渡る。
バンパーは別の物語を語る。インドの都市では車が急速に広がっている。新しい車は、のし上がることのしるし。
ゴウダはかつてこの組み合わせを、恐れ、迷信、信仰、そして近代の暮らしのなかで何か慰めとなる行為を求める気持ちの出会いと語った。作品はどちらの側にもつかない。両方をそこに居させる。
ほどいて、また編む
キュレーターのトレヴァー・スミス(Trevor Smith)によれば、ゴウダはお守りから短い髪をほどき、市場で売られる髪に似た長い縄へと編み上げる。ひとつのまじないが解かれ、別のものへとつなぎ直される。
これには膨大な手間がかかる。編む、結ぶ、巻く。4キロの縄は、4キロ分の小さな繰り返しの仕草。それでもゴウダは、その労力がすぐに見えることを望まない。自分がまだ制御しているうちに素材に語らせたい、制作の過程はすぐには見えないほうがいい、と彼女は語っている。作品は簡素に見える。重みはその下にある。
ゴウダはシャンティニケタンのカラ・バヴァン(Kala Bhavan)で、K・G・スブラマニヤン(K.G. Subramanyan)のもとで学んだ。具象画家として出発し、土地の素材への関心が深まるにつれ、1990年代に彫刻へ移った。1998年の別の作品「And Tell Him of My Pain」では、縫い針と赤いクムクムの顔料を用いた。
抽象と身体のあいだ
「Behold」は二つの見方のあいだにある。壁の黒い線は抽象的なドローイング、自由な曲線として読める。けれど、ある渦は頭のように丸く、ある緩い輪は臓物のように見える。何も表していないように見える形のなかに、身体が何度も浮かび上がる。
素材の対比は鋭く、エル・アナツイが瓶の蓋を縫い合わせて金属の布にするやり方を思わせる。日用の物は、それを扱った人々の暮らしを運ぶ。鋼は明るく、清潔で、大量生産。髪は暗く、有機的で、一本一本がひとりの人から来ている。トレヴァー・スミスは、この作品がいつもの役割を逆転させると論じる。ふつうは人の体が機械に対するもろい相手役だが、ここでは髪が鋼を支えている。
「Behold」は2009年のヴェネツィア・ビエンナーレ、2011年のシンガポール・ビエンナーレで展示された。テートが2014年に収蔵し、2016年から2018年までテート・モダンに設置した。
題名は呼びかけ。見よ。近づいて見れば、縄の一本一本は誰かの髪。誓いのために剃られ、安全を願って車に結ばれた髪。その願いが、いま壁一面に掛かっている。