エッセイ · 嗅覚アート
ティファニー「Fern and Daisy Perfume Bottle」
Tiffany & Co. Fern and Daisy Perfume Bottle.
手のひらに載るほど小さな、銀の庭。
The Art Institute of Chicago、Anna Mantel Fishbein 寄贈 · The Art Institute of Chicago
長さ12センチの物
瓶は1870年から1875年のあいだにニューヨークでつくられた。シカゴ美術館によれば、長さ12.2 cm、幅3 cm、すべて銀製。ペンほどの、長い指ほどの大きさ。ハンドバッグにも、引き出しにも、手のひらにも収まる。
名前はつくり手による。「Fern and Daisy」(シダとデイジー)。2661という数字はパターン番号。上半分には Tiffany and Company、2661、Sterling、M2197、Union Square と刻印されている。刻印のひとつひとつが情報だ。誰がつくったか、どのデザインか、どんな銀か、どこで売られたか。
モチーフは、花束ではめったに一緒にならない二つの植物を組み合わせている。シダは葉ばかりで花がなく、日陰と湿り気の中に生きる。デイジーは日を浴びて開く野の花。瓶の上で、二つは狭い表面を、同じ銀を、同じ輝きを分け合う。
瓶は1975年、シカゴのアンナ・マンテル・フィッシュバインからの寄贈で美術館に入った。アメリカ美術部門に属し、銀器、瓶、身だしなみのための容器として登録されている。
銀の店を語る刻印
ティファニー(Tiffany & Co.)は1837年にニューヨークで創業した。1870年代には自前の銀器部門を持ち、それを率いたのはエドワード・C・ムーアだった。ムーアは建築、植物、金工の本を集めた膨大なデザイン・ライブラリーを持ち、弟子たちに自然物から素描し、造形することを教えた。パリの技術学校から借りた方法だ。
刻印の M は、ふつうムーア時代の印と読まれる。Sterling は銀の純度を示す。ティファニーは、1,000分の925を銀とするイギリスの基準を採用した最初のアメリカの会社で、それはのちにアメリカの標準となった。Union Square は当時の店の所在地、マンハッタンの同名の広場だ。
だからこの瓶は、美しい物である前に、ひとつの文書だ。買い手は裏返して、その出自を読むことができた。今日の来館者も、一世紀半以上たったいま、なおそれを読むことができる。
もう一度鋳込まれた自然
19世紀後半、アメリカの銀器は大きく植物へと向かった。葉、茎、花、果実が、ティーポット、盆、花瓶、箱に彫り込まれ、鋳込まれた。とりわけシダは当時イギリスとアメリカで愛されていた。採集され、押し葉にされ、ガラスの下で育てられ、布や陶磁器に刷られた。銀の上のシダは、当時の買い手にとってなじみのある像だった。
けれど植物を香水瓶に載せることは、茶盆に載せることと同じではない。当時の香水は、まだ大部分が花や植物から来ていた。瓶は言葉のないラベルのように働く。香りの名を告げずに、中身が庭のものだと語る。
銀もまた、理にかなった選択だった。不透明で、液体を暗がりに保つ。ぶつけても耐えるので、身につけて持ち歩く物に向く。そして使うほどに明るくなる。手がいちばんよく触れるところを磨いていくから。
この瓶が大切な理由
「Fern and Daisy」は大作ではない。展覧会や宮廷のためにつくられたものではない。広場に面した店で売るためにつくられた、番号つきのパターンだ。だからこそ見る価値がある。豊かになっていく都市の日常に香りが入りこんでいくさまを、しかも銀を通して入りこんでいくさまを示している。
それは香りについてのひとつの考え方も保存している。貴金属に包まれ、植物で飾られ、身の回りの物として持ち歩かれる香り。香りは身体に属する。けれど身体とともに旅をするには殻が要る。
のちに香水瓶はガラスへと移り、ルネ・ラリックのようなデザイナーは、コティのための「Cyclamen」の瓶のように、瓶そのものを香りの像にしていく。ティファニーの銀の瓶はその一歩手前に立つ。香りはまだ暗がりに隠れ、庭は外側にだけ育っている。
中にどんな液体が入っていたにせよ、とうに消えているだろう。残っているのは形。シダ、デイジー、刻印。匂いのない庭が、過ぎ去った香りの場所を守っている。