エッセイ · 写真
ヴェラ・ルッター「Museum in the Camera」
Vera Lutter. Museum in the Camera.
建物が自分の像を焼きつけるには、何か月もかかる。
© Vera Lutter、作家提供 · LACMA
カメラの中の美術館
2017年2月から2019年1月まで、ニューヨークを拠点とする作家ヴェラ・ルッターは、ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)に招かれ、滞在制作を行った。課題は、美術館の建築、展示室、コレクションを記録すること。
ルッターは、ふつうの意味でのカメラを使わない。長いあいだ、ひとつの方法で仕事をしてきた。カメラ・オブスクラ、暗い部屋。部屋ほどの大きさのカメラを作る。一方の壁に小さな穴。向かいの壁に、未露光の印画紙。
外の光が穴を通り、紙の上に景色の倒立像を描く。写真よりずっと前から知られていた、ごく古い光学現象。ルッターが加えるのはひとつだけ。その像をとどめられるほど感光する面。
できあがるのは、大きな一点物のネガ。光は暗くなり、暗さは光になる。空は黒い。窓は黒い。壁は内側から照らされたように光る。
ひと部屋に七か月
カメラ・オブスクラには時間が要る。小さな穴を通る光はかすかで、紙は長いあいだその場にとどまらなければならない。露光が数日、数週間に及ぶこともあった。LACMA のヨーロッパ絵画の展示室を写した一枚は、七か月にわたる露光の結果。
その七か月のあいだ、美術館は開いていた。来場者が訪れ、絵の前で立ち止まり、去った。写真には誰も写っていない。紙にとって、彼らは速く動きすぎた。記録されたのは、十分に長く静止していたものだけ。壁、額、床、彫刻。
光は変わりつづけた。朝から午後へ、晴れから曇りへ、季節から季節へ。そのすべてが一枚に積み重なった。写真はある瞬間の部屋を見せるのではない。一季節より長い時間にわたる部屋を見せる。
混み合う場所が、空っぽの場所になる。誰もいなかったからではない。十分に長くとどまった人がいなかったから。
消えゆくものを記録する
このプロジェクトには具体的な背景があった。LACMA の東キャンパスの建物、アーマンソン、ハマー、アート・オブ・ジ・アメリカズ館、レオ・S・ビング・センターなどは、ピーター・ズントー(Peter Zumthor)設計の新しい建物のために取り壊される予定だった。
だからルッターは期限と向き合って仕事をした。カメラに変えた部屋は消える。光を受ける壁は壊される。写真は、それらの空間の最後の記録のひとつになった。それも稀な記録。美術館が自らの光で、自らの像を焼きつけたもの。
展覧会「Vera Lutter: Museum in the Camera」は、2021年4月から9月まで LACMA のレスニック・パビリオンで開かれた。来場者は、もう存在しない部屋の巨大なネガの前に立った。
ここには奇妙な円環がある。美術館は過去を保つ場所。ここでは美術館そのものが、保たれるべき過去になる。
なぜ残るのか
「Museum in the Camera」は速さについての教え。現代の写真は千分の一秒に慣れている。ルッターは逆へ引っぱる。数週間、数か月。その速さでは、はかないものは消え、長く続くものだけが残る。
同じ暗い部屋の原理で、アベラルド・モレルは通りを寝室に招き入れ、ふたつの世界を重ねる。ルッターは部屋そのものを主題に変える。一方は内が外と出会うこと。もう一方は、空間が自分自身を見ること。
建物は失われうる。けれど、かつてそこを通った光は、紙の上にまだ横たわっている。