エッセイ · 嗅覚アート
チェルシー磁器工房「香水の壺」
Chelsea Porcelain Manufactory. Perfume vase.
水を入れない壺。入れるのは、乾いた花の香りだけ。
The Metropolitan Museum of Art、Irwin Untermyer 寄贈、1964年(Open Access、パブリックドメイン) · The Metropolitan Museum of Art
暖炉の上の壺
この壺は1761年頃、ロンドンのチェルシー磁器製作所で作られた。所蔵するニューヨークのメトロポリタン美術館によれば、軟質磁器で、高さ43.2 cm、幅29.2 cm、奥行き17.8 cm、重さは2.9 kg近い。本体と蓋の二つの部分からなり、館の記録ではそれぞれ別の番号がつけられている。
美術館はこれを perfume vase、香りの壺と呼ぶ。18世紀のイングランドでは、こうした器を essence pot、あるいは pot pourri vase とも呼んだ。ふつうは暖炉の上に置かれ、香りのある乾いた花びらと葉を混ぜたものが詰められた。蓋は香りを閉じこめ、あるいはゆっくりと外へ出した。
美術館はこの壺に「鳥」というキーワードをつけている。鳥、花、枝は、当時のヨーロッパの磁器によく見られる図柄だった。乾いた花のための壺の上では、花びらが後にしてきた庭を思い出させるものとして読める。
壺は1964年、コレクターのアーウィン・アンターマイヤー (Irwin Untermyer) から寄贈された。メトロポリタン美術館の512番展示室で公開されている。
軟質磁器と金錨の時代
チェルシー製作所は1745年から1784年までロンドンで操業した。イングランド最初期の磁器工場のひとつで、ヨーロッパがまだ、中国や日本から海路で輸入していた硬質磁器を作ろうと試みていた時代に創設された。
イングランドにはまだ硬質磁器の製法がなかった。そこで作られたのが軟質磁器である。粘土に他の素材を混ぜ、時期によっては骨灰も加えて、より低い温度で焼いた。軟質磁器は窯の中で失敗しやすかったが、表面はやわらかく、エナメルの色をよく受けとめた。
この壺は、研究者が金錨期と呼ぶ1759年から1769年に属する。当時工場が使っていた、金で描かれた小さな錨の印にちなむ名である。深い地色、多色のエナメル、金彩を備えた、チェルシーで最も精緻な時代だった。
金錨期の香りの壺は、日用品ではなかった。飾るための物であり、客が最初に目にする場所に置かれた。
ジョージ王朝の家の香り
フランス語の pot pourri は、文字どおりには腐った壺、あるいは漬けこむ壺を意味する。奇妙に響く名だが、方法をそのまま表している。花びら、香りのある葉、果皮、香辛料を、ときに塩とともに漬けこみ、ゆっくり乾かしてから壺に入れた。色を失ってからも、長く匂いを保った。
18世紀のイングランドの家は、もともと心地よい匂いがしたわけではない。石炭の煙、蝋燭の煙、石と布の湿気があった。ポプリの壺は、部屋の空気を整えるひとつの方法だった。静かに、火を使わずに。
目を引くのは、ここで香りが家具とともに設計されていたことだ。壺は暖炉にも、鏡にも、炉棚の上のほかの磁器にも合っていなければならなかった。その美しさは見るため、その働きは嗅ぐため。どちらも部屋のしつらえの一部だった。
香りは後から考えるものではなかった。家を整えるその時から考えられていた。
この壺がなぜ大切か
いま、壺は空である。中に花びらはなく、蓋から香りが立ちのぼることもない。メトロポリタン美術館の来館者が見るのは、磁器、エナメル、金、鳥。けれど、その名は古い働きを留めている。香りの壺。もう長いあいだ、香りを入れていないとしても。
それは、香りの歴史が身体にまとう瓶の中だけにあるのではないことを思い出させる。家の中で静かに立ち、一日じゅう働き、誰にも気づかれない物の中にもある。部屋の匂いもまた選ばれ、物に込められ、飾られていた。
同じ頃のロンドンで、別の工場ははるかに小さな磁器の香水瓶を作っていた。手に持ち、持ち歩くためのもの。たとえば チャールズ・グーイン (Charles Gouyn) の香水瓶。一方は身体のための香り、もう一方は部屋のための香り。チェルシーの壺は後者に属する。背が高く、重く、動かず、誰かが入ってくるのを待っている。