エッセイ · 現代アート
ビル・ヴィオラ(Bill Viola)。「The Crossing」。
Bill Viola. The Crossing.
火をくぐり、水をくぐり、なお何かが残る。
Solomon R. Guggenheim Museum · Solomon R. Guggenheim Museum
二つの面を持つスクリーン
「The Crossing」は、ビル・ヴィオラが1996年に制作した2チャンネルの映像インスタレーションで、いまはニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館に、ボーエン財団から寄贈された作品群の一つとして所蔵されている。暗い部屋の中央に、自立する投影スクリーンが一枚。その両面に映像が映る。
訪れる人はそのまわりを歩くことができる。片面では一つの物語が見える。もう片面では、それと並行するもう一つの物語が。両方を同時に見られる場所はない。反対側を知るには、こちら側を離れなければならない。
この配置が、すでに作品の意味の半分をなしている。二つの元素、二つの運命、一つの身体、一枚のスクリーン。見る者もまた、くぐり抜けなければならない。
片面に水、もう片面に火
片面では、男が闇の中から歩み出てくる。とてもゆっくりと動く。映像は実際より何倍も遅く流れている。男は近づき、やがて等身大を超える大きさで見る者と向き合う。そのとき、上から水が滴りはじめる。滴は流れになる。流れは奔流になる。水は激しく落ち、身体を覆い、ついに男は見えなくなる。
水が引くと、スクリーンは空っぽになる。そして場面はまた始まる。
裏面では、同じ男が同じ速さで近づいてくる。今度は足もとに炎が立ちのぼる。炎は広がり、這い上がり、やがて人物は火にのみ込まれる。
グッゲンハイムはこの作品を、半ばは激しい破壊、半ばは穏やかな超越と説明している。二つの半分は別々ではない。身体が消える瞬間は、それが解き放たれるように見える瞬間でもある。
見えるほどに遅く
ヴィオラは1970年代から映像に取り組んだ。現代のメディアは見る者を霊的な現象の近くへ連れていけると信じていた。彼の道具は映像制作のそれだった。大規模な投影、スローモーション、緻密な音響編集、ループ。
「The Crossing」では、遅さが主な仕事をする。通常の速さなら、男に落ちる奔流は数秒の衝撃にすぎない。ヴィオラの速さでは、それは過程になる。水が肩に触れ、次に頭に触れ、やがてすべてを覆うのが見える。炎が足もとから舐めるように上っていくのが見える。時間は引き延ばされ、出来事は儀式になる。
ループは二つ目の仕事をする。男は一度きりで死ぬのではない。歩み出し、消え、また歩み出す。その円環は、ヴィオラが生涯心を寄せた循環に近い。誕生と死、生成と解体。
名前のない儀式
水と火は多くの信仰の儀式に現れる。水は洗い、迎え入れるために。火は燃やし、清め、捧げるために。ヴィオラは一つの宗教を選ばなかった。美術館は、彼が多くの信仰体系から特定されない霊的な過程を汲み取ったと記している。見る者は、すでに抱えているものを何であれ作品に持ち込む。
同じ時期、ヴィオラは「The Messenger」を制作した。最初はイングランドのダラム大聖堂に設置された作品で、男が暗い水から浮かび上がり、息を吸い、また沈む。数年後、彼とキラ・ペロフは四つの元素をセント・ポールへ運んだ。「Martyrs (Earth, Air, Fire, Water)」である。「The Crossing」はその間に立つ。二つの元素と一枚のスクリーンで。
おそらくだからこそ、この作品はいまも重みを持つ。説教はしない。身体が自分より大きな何かへ入っていくのを、とてもゆっくりと、何度も何度も見せる。やがて見る者は、自分がスクリーンのどちら側に立っているのかと考えはじめる。