エッセイ · 近代美術

コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuși)「Le roi des rois」

Constantin Brâncuși. Le roi des rois.

存在しなかった寺院のためにつくられた彫刻。

コンスタンティン・ブランクーシ「King of Kings」:彫られた形が積み重なる、背の高いオークの彫刻

Solomon R. Guggenheim Museum · Solomon R. Guggenheim Museum



人より背の高い柱

「King of Kings」、フランス語の原題で「Le roi des rois」(王の中の王)は、高さ約3メートルの直立したオークの塊である。作品を所蔵するニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館は、制作を1938年頃としている。

下から上へ読むと、形の積み重なりだ。臼のように丸い部分、細くくびれる部分、ぎざぎざの部分。頂には冠をいただいた頭のような、あるいは伏せた杯のような形がある。顔も手足もない。それでも見る人は、姿勢を、存在を見る。

鑿の跡は残っている。木目が消えるまで磨かれてはいない。近づくと、刃が深く入った場所、歳月で木が割れた場所が見える。ブランクーシはその痕跡に手を加えなかった。

最初の題は「King of Kings」ではなかった。グッゲンハイムによれば、ブランクーシはかつてこれを「Spirit of Buddha」(仏陀の精神)と呼んでいた。のちの名は君主のように響く。先の名は祈りのように響く。

インドールの寺院

1933年、インドのインドールのマハラジャ、ヤシュワント・ラーオ・ホールカルは、ブランクーシに瞑想のための私的な空間の設計を依頼した。「瞑想の寺院(Temple of Meditation)」と呼ばれるものである。

残された計画は、奇妙な部屋を描いている。窓はほとんどなく、光は天井の開口からだけ入る。内部には水を映す池。壁には描かれた鳥。入口は地下にあり、人はまず降りてから光に出会う。

「King of Kings」はそこに立つはずだった。寺院は建てられなかった。彫刻はパリのブランクーシのアトリエにとどまり、のちにヨーロッパを離れてニューヨークへ渡った。

そのため、作品は奇妙な生を送っている。ある場所のためにつくられ、その存在のすべてを別の場所で過ごしてきた。ギャラリーでは彫刻である。最初の意図では建物の一部であり、黙ってそばに座るための物だった。

木はブロンズではない

ブランクーシは、鏡のように磨かれたブロンズで知られる。飛ぶ鳥、眠る頭、卵の形。それらの素材で、彼はもっとも切り詰めた形を探した。取り除くものがほとんど残らない形を。

木は彼を別の場所へ連れていった。グッゲンハイムは、彼の木彫が特定の人物や霊的な存在を思わせる傾向にあり、より粗く、理想化が少ないと記している。ブロンズが原型へ向かったのなら、木は個性を保った。

研究者たちは、「King of Kings」の積み重なる形を、ブランクーシの故郷ルーマニアの民家建築にたどってきた。彫刻された木の門柱や飾り柱である。側面に沿ったぎざぎざの縁は、アフリカの彫刻とも比べられてきた。20世紀初めのパリで、芸術家たちの大きな関心を集めたものだ。

ブランクーシは説明しなかった。自分の形がどこから来たのか、はっきり語ったことはない。問いは開いたままにされた。

ともにいるための物

いまグッゲンハイムを訪れる人は、「King of Kings」のまわりを歩くことが多い。見上げさせるほど高く、四つの面すべてが見えるほど細い。正面も背面もない。

そのめぐり歩きは、見た目以上に最初の構想に近いのかもしれない。瞑想の部屋で、彫刻はちらりと見て去るものではなかった。長いあいだそこに立ち、空間の時を刻む柱のようにあるものだった。

ブランクーシ以後の近代彫刻はこの道を進み続け、木や石をくり抜いて、内側の空間を形の一部にした。バーバラ・ヘップワースが「Pelagos」でしたように。けれど「King of Kings」は、まだ開こうとしない幹のように、中身の詰まった閉じた姿のままである。

オークの幹、紙の上の寺院、変わった名前。残るのは木の塊。それは自分の物語を語り直さない。ただ立っている。