エッセイ · 嗅覚アート
クマリン。試験管のなかの干し草。
Coumarin. Hay in a test tube.
草は乾く。匂いは残る。
刈られた草の匂い
クマリンは小さな分子で、ベンゼン環がラクトン環とつながっている。純粋なものは白い結晶になる。近くで嗅ぐと干し草とアーモンドの匂いがし、少し乾いたタバコのようで、少し冷ましたペストリーのようでもある。
自然のなかでは、あちこちに現れる。トンカ豆は南米の大木の黒くしわの寄った種で、クマリンをあまりに多く含むため、皮の上に白い結晶ができることもある。スイートバーナルグラスにも含まれる。北米のディアタングの葉にも、カシアの樹皮にも、スイートクローバーにも。
これらの素材に共通するのは、乾くほど匂いが強くなることだ。新鮮なスイートグラスはかすかにしか匂わない。数日乾かすと、納屋を満たす。ヨーロッパの農民は、その名を知るずっと前からその匂いを知っていた。夏の終わりの干し草の山、冬じゅう閉ざされた納屋。
クマリンは19世紀の初めにトンカ豆から単離された。名は、ギアナ地方でトンカの木を指す現地の呼び名 coumarou に由来する。何十年ものあいだ、クマリンが欲しければトンカ豆が必要だった。
パーキン、紫の染料から干し草へ
ウィリアム・ヘンリー・パーキン(William Henry Perkin)は、まずひとつの色で知られている。1856年、ロンドンでキニーネをつくろうとしていた十八歳の学生は、偶然に紫の染料を得た。彼はそれをモーベインと名づけた。最初期の合成染料のひとつであり、コールタール化学の産業全体を開いた。
十二年後の1868年、パーキンはサリチルアルデヒドからクマリンをつくる方法を報告した。その反応はのちに彼の名で呼ばれる。はじめて、草も、トンカも、夏もなしに、干し草の匂いがつくられた。
ここで立ち止まる価値がある。それまで香水瓶のなかの匂いはどれも物から来ていた。花、皮、木片、ムスクの嚢。匂いを得るには、その物が必要だった。合成クマリンによって、その糸がはじめて切れた。匂いは化学式として書かれ、必要なだけ何度でも、実験室があるところならどこでも、つくり直せるようになった。
パーキンは香水をつくらなかった。けれどロンドンでの彼の仕事は、パリの調香師たちにかつてないものを与えた。季節にも、南米からの船にも左右されない、安定して手ごろな素材を。
Houbigant を率いていたポール・パルケ(Paul Parquet)は、合成クマリンをラベンダー、ベルガモット、ゼラニウム、オークモスとともに使い、Fougère Royale をつくった。ふつうは1882年とされるが、1884年とする資料もある。合成分子を軸に組み立てられた最初期の香水のひとつだった。
名前は奇妙だ。Fougère はフランス語でシダを意味し、シダはほとんど匂わない。パルケは想像上の匂いに名をつけた。もしシダに香りがあるなら、こんなものかもしれない。湿った森、オークの樹皮の苔、足もとの乾いた葉、そしてその中心に干し草の乾いた甘さ。
その一本から、ひとつの系統がまるごと育った。フランス調香師協会は Fougère を、ラベンダー、木、オークモス、クマリンの枠組みと定義している。1889年、エメ・ゲラン(Aimé Guerlain)はラベンダー、クマリン、合成バニリンで Jicky をつくった。20世紀を通じて、Fougère の枠組みはアフターシェーブと男性用香水のなじみ深い構造になった。
Houbigant は2010年に新しい処方で Fougère Royale を再発売した。オリジナルは、記述と研究による再構成を通してしか知られていない。
畑のない畑
クマリンは、のちのあらゆる合成香料が繰り返してきた問いを投げかける。匂いは物なのか、それとも物のしるしにすぎないのか。
実験室でクマリンを嗅ぐとき、刈られた草はひとつもない。太陽も、干し草の山もない。それでも嗅ぐ人は干し草を見いだし、過ぎ去った夏を見いだす。匂いは、自分には必要のないひとつの情景をまるごと運んでいる。
逆向きに言うこともできる。干し草はいつも過ぎ去ったものの匂いだったからこそ、こんなにもたやすく物から離れた。干し草はすでに新鮮な草の痕跡だ。合成クマリンは痕跡の痕跡である。
今日クマリンは、香水から石鹸まで、実に多くのものに含まれている。ヨーロッパでは一定の閾値を超えると化粧品のラベルに記載しなければならず、IFRA にもその基準がある。畑はいまもそこにあり、毎夏刈られ、自分の匂いがどれほど遠くまで旅したかを知らない。