エッセイ · 嗅覚アート
ディネオ・セシー・ボパペ(Dineo Seshee Bopape)。「sa ____ ke lerole, (sa lerole ke ___)」。
Dineo Seshee Bopape. sa ____ ke lerole, (sa lerole ke ___).
土には記憶がある。それを匂いとしてとどめる。
撮影:Charles Benton。提供:作家および Art in General · Hyperallergic
土で満ちた部屋
2016年の終わり、ブルックリンのダンボにある非営利のアートスペース、アート・イン・ジェネラルが、ディネオ・セシー・ボパペの米国初の個展を開いた。作品は同団体の New Commissions プログラムを通じて制作され、2017年1月半ばまで公開された。
訪れた人をまず迎えたのは匂い。焚かれたばかりのセージ、儀式の前に部屋を清めるための煙。次に土。ギャラリーのあちこちに置かれた、突き固めた大きな土の塊から立ちのぼる、温かく丸い匂い。塊は四角く切られ、地面から切り出されて屋内へ運ばれた畑の区画のようだった。
土の表面には、たくさんの小さなものがあった。いくつもの色の薔薇の花びら。蝋燭。セージの束。作家の手の跡がまだ残る粘土の塊。羊毛、炭、羽根、灰。タカラガイ、小石、金のかけら。白い粉の小さな山。小さな金の兎。土に混ぜられた焦げた木片。
作家と大地
ディネオ・セシー・ボパペは1981年、南アフリカのポロクワネに生まれ、ヨハネスブルグで暮らし制作している。映像、音、ファウンド・オブジェクト、素材そのものを扱ってきた。この展覧会の前後の年月、土が彼女の主な素材になった。
題名は南アフリカの言語の一つ、セペディ語。近い訳は、___ に属するものは塵、(塵に属するものは ___)。空欄は開いたまま。訪れた人はそれを埋めてもいいし、空のままにしてもいい。
アート・イン・ジェネラルによれば、この委嘱は、同じ年に開かれた第32回サンパウロ・ビエンナーレでのボパペの展示から一部生まれた。彼女は大地をいくつもの側から同時に見る。ジェンダー、記憶、歴史、場所の政治、そして物質そのものとは何かという問い。
南アフリカで、土地が中立の主題だったことは一度もない。誰が所有し、誰が追われ、誰が他人の土地を耕すのか。ボパペはそうした文を壁に書かない。部屋に土を置き、それに語らせる。
土の中の遊び
近づくと、塊は平らではない。くぼみや小さな穴があり、貝殻や石や金で満たされている。その配置は、南部アフリカ一帯で遊ばれる二つの遊び、モラバラバとディケトを思わせる。モラバラバは格子の上で駒を動かす遊びで、格子はしばしば地面に直接刻まれる。ディケトは小石を投げ上げて受け止める遊び。
遊びは、人が毎日土を使うひとつの方法。耕すためでも、所有するためでもなく、ただその上で一緒にいるために。切り取られた土の塊に遊びを埋め込むことで、ボパペは大地を資源以上のものとして示す。そこはかつて、儀式の場であり、共に暮らす場であり、子どもたちの場だった。
Hyperallergic に寄せた文で、批評家セフ・ロドニーは、その部屋が置き去りにされた儀式の道具を、そして人の世話のもとで尽きていく土の生命力を思わせたと書いた。セージは燃え尽きた。花は萎れた。土は乾いて塵になりつつある。
残るのは塵
ほとんどの彫刻は残るためにつくられる。石、ブロンズ、処理された木。ボパペの作品は逆へ向かう。湿って匂いに満ちた状態で始まり、ゆっくりと乾いていく。最初の週に訪れた人と最後の週に訪れた人は、同じ部屋を嗅いではいない。
ここで匂いは加えられた効果ではない。素材がまだ生きている証拠。それが薄れるにつれ、訪れた人は、土が水を失い、儀式が遠ざかっていくことを知る。
題名ははじめからそう言っていた。土に属するものは塵になる。そして塵もまた、私たちがまだ名づけていない何かに属する。ボパペはその場所を空欄のままにする。
土と匂いは、ほかの作品でも出会う。カロラ・ブラガの涙と土と菊のように。ボパペの部屋で、土は良い匂いがするようにはつくられていない。ただ塵になるまで放っておかれる。