エッセイ · 嗅覚アート

エロディ・ポン。「Paradise Paradoxe」。

Elodie Pong. Paradise Paradoxe.

匂いに名前はない。名前は私たちが与える。

エロディ・ポン「Paradise Paradoxe」。Helmhaus Zürich の壁に投影された香水の名前と、3Dプリントの植物

作家提供 · Wallpaper*



並んだふたつの名前

エロディ・ポンはスイスの映像とインスタレーションの作家だ。美術の前に、社会学と人類学を学んだ。どちらの分野も彼女の仕事ぶりに表れている。何かが美しいかどうかを問うことはまれで、人がそのまわりにどんな約束事を築くのかを問う。

2016年、3月11日から5月16日まで、リマト川沿いにある市立のアートスペース Helmhaus Zürich が彼女の個展を開いた。タイトルは偶然から生まれた。展覧会の準備中、ふたつの市販の香水の名前「Paradise」と「Paradoxe」が、パソコンの画面に並んで現れた。ポンはその組み合わせを残した。

その偶然は多くを語る。楽園と逆説。正反対のふたつの約束が、ほとんど同じに見える瓶に収められ、同じカウンターで売られている。香水産業はこうした名前で生きている。

ポンはそれらの名前をあざ笑わない。素材として扱う。香水の名前は、売り手が買い手の望みをどう考えているかを語る。どこかへ連れていかれること、誰かになること。何百もの名前を集めれば、人の願いの地図ができる。言葉で描かれ、言葉をもたないものに結びつけられた地図が。

見えないものの部屋

ポンは自らの主題を嗅覚の建築と呼ぶ。家で、街で、他人の肌の上で、どこでも人を取り巻いている匂いの見えない層。私たちはそのなかで暮らし、めったに気づかない。展覧会はその建築を現そうとする。

3Dプリンターでつくられた植物があった。植物のかたちをしていても、植物の匂いはしない。見るものとかぐものが離れうることを思い出させる。移動式のプロジェクターを載せたロボットがいて、動きまわりながら香水の名前を壁に重ねて映していた。匂いの理論を踊る身体と並べる映像もあった。匂いの源としての身体、動き、放つ身体。

プログラムにはコンサート、トーク、音楽のワークショップ、そしてテルミンの演奏も含まれていた。テルミンは触れずに演奏される楽器だ。この細部は部屋全体にふさわしい。触れることなく私たちに作用するもの。

ポンにとって、匂いは人と物と場所のあいだに言葉のないつながりをつくり、私たちはかぐことを拒めない。目は閉じられる。鼻はいつも開いている。

「White」、存在したことのなかった香り

展覧会の中心には新しい香りがあった。ポンは、香りの科学者ローマン・カイザーを招いた。生きた花や植物が放つ匂いを、摘んだり蒸留したりせずにとらえる方法の先駆者のひとりだ。カイザーは何年もかけて熱帯雨林の植物の匂いを記録した。ふつうの方法では香りを採れない場所だ。

ふたりが「Paradise Paradoxe」のためにつくった香りは「White」と名づけられた。透明な木の気配、ジャスミンの花という発想、そしてわずかな塩水。発想という言葉が大事だ。それはジャスミンではなく、ジャスミンを思い出させるものだ。

ポンは香水産業のある逆説を指し示したかった。匂いは本当には言葉にできない。それでも産業は言葉で匂いを囲い込む。名づけ、分類し、約束する。Helmhaus では名前が壁を飛びまわり、実際の匂いは部屋の真ん中で静かに立ち、説明を必要としなかった。匂いと言葉が出会う場所は、ペーター・デ・キュペールの匂いのアルファベットが別のしかたで問う問いでもある。

展覧会は同名の本を残した。Edition Patrick Frey から刊行されている。けれど「White」は本には収まらない。それはあの部屋に、あのふた月のあいだだけ存在し、ほかのすべての匂いと同じように消えていった。