エッセイ · 嗅覚アート

フランカー。ひとつの香りとその写し。

Flankers. A scent and its copies.

どの変奏も、原本の影である。

フランカー:ひとつの名を分けあう香水瓶の列。それぞれ色が違う


フランカーとは何か

香水ビジネスの言葉で、フランカーとは既存の瓶をもとにつくられた新しい版のことで、古い名と香りの主な骨組みを保つ。この語はスポーツと軍事から借りられた。主力の隊形の脇、翼に立つ者である。フランカーは原本に取って代わらない。その隣に立つ。

名づけはたいてい、関係をすぐに教える。元の名、それから修飾語。Intense、Eau Fraîche、L'Eau、Nuit、Summer、Absolu。修飾語は限られたずれを約束する。買い手は、見知らぬものへではなく、なじみのものへ近づくよう誘われる。

匂いの違いは、小さいこともあれば、かなり大きいこともある。濃度を上げるだけで、香りが肌に長く残るようにしたフランカーもある。主となる性格を変え、見分けのつく一本の線だけを残すものもある。軽く澄んだ夏の版があり、より厚く甘い冬の版がある。名が、それらを結ぶ糸である。

なぜ名は引き伸ばされるのか

2022年、雑誌『Nez』は、市場における香水のライフサイクルについてのクレマン・パラディ(Clément Paradis)の文章を掲載した。そこではフランカーが、ブランドにとって創作と生産の費用を下げながら、棚での存在感を増す方法として説明されている。ひとつの循環にも触れている。より多く発売するブランドほどより多く売れる傾向があり、そのため発売のリズムは上がりつづける。

公平に読めば、その論理はわかりやすい。人々が覚えている瓶は、まれな資産である。新しい名を一から築くには時間がかかり、失敗するかもしれない。フランカーはすでにあるなじみを再利用し、元の名を視野に保つ。多くの調香師は、フランカーを本物の練習としても扱う。人々がまだそれとわかるように、どう香りを変えるか。

『Nez』の文章は、より難しい問いも投げかける。そのリズムは、嗅ぐ人々が本当に望むものから来ているのか、それともマーケティングの暦から来ているのか。どの季節にも新しい何かが必要なとき、新しさは、大きな出来事として語られる小さな変奏になりうる。それはどれかひとつのメゾンの落ち度ではない。ひとつの仕組み全体のかたちである。早くも1970年、エドゥアルド・パオロッツィ(Eduardo Paolozzi)はコラージュ版画のなかで、香水の流行を見積もることを、マスメディアの機械として見つめていた。

変奏と原本

視覚芸術は長くこの問いとともにあった。版画にはエディションがある。写真には多くのプリントがある。歌には多くのミックスがある。二番目が最初のものより自動的に劣るとは、誰も考えない。けれど誰もが、ほかのものが参照する起点があることを知っている。

フランカーは少し難しい。匂いには像がないからだ。二本の瓶を並べて見ることはできない。一本ずつ嗅ぎ、鼻はすぐに疲れる。原本の記憶はしばしば何年も前の記憶で、ひとりの人、ひとつの季節、ひとつの部屋に結びついている。比較はけっして対等ではない。ひとつの版は肌の上にあり、もうひとつは記憶のなかにしかない。

ときにフランカーは原本より長く生きる。ときに買い手は変奏しか知らず、最初の瓶を一度も嗅がない。そのとき、どちらが原本かという問いは、もはやメゾンの歴史に属さない。一人ひとりの歴史に属する。

物とその影

Penta は逆の規則で仕事をする。ひとつの番号に、ひとつの物。拡張版も季節もない。これは選択であって、判定ではない。フランカーは市場からの問いに答え、Penta は別の問い、ひとつの観察を澄んだまま保つことについての問いに答える。

Penta がフランカーから学ぶのは、名がどれほど伸び縮みするかということだ。ひとつの名が多くの香りを抱えうる。ひとつの香りが多くの名を担いうる。言葉と匂いは、私たちが思うほど固く結ばれてはいない。ラベルを読むとき、私たちが読むのは描写ではなく、血縁の約束である。

どの変奏も、原本の影である。長い影もあれば、短い影もあり、逆の方向へ落ちる影もある。問いは、影があるべきかどうかではない。影のあいだに立つ物を、私たちがまだ見られるかどうかである。