エッセイ · 嗅覚アート
セレブリティの香水。ボトルの上の顔。
Celebrity perfume. A face on a bottle.
ここで香りは、ひとつの像の痕跡である。
エリザベス・テイラーとひとつの着想
1960年1月、フォトジャーナリストのアート・シェイ(Art Shay)は、シカゴで、映画館に香りを持ちこむ仕組み Smell-O-Vision の宣伝イベントに来たエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)とエディ・フィッシャー(Eddie Fisher)を撮影した。そのプリントはいまシカゴ美術館(Art Institute of Chicago)の所蔵品である。シェイはのちに、二人は礼儀正しく楽しんでみせていたと語った。技術は続かなかった。香りを嗅ぐスターの写真は残った。
三十年後、テイラーは自分の名を香水につけた。White Diamonds は1991年に Elizabeth Arden から出た。その名は花も木も語らなかった。語ったのはダイヤモンドだった。長年の報道を通じて、世間が彼女と結びつけてきたものだ。
目を引くのは、人と物の噛み合い方だ。テイラーが売っていたのは抽象的な香りではない。買う人の頭のなかにすでにある像の一部を売っていた。華やかさ、しぶとさ、休みなく撮られ続ける人生。ボトルは、誰もが家に持ち帰れる、その像の小さなかけらになった。
Glow とひとつの波
2002年、ジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)は Coty とともに Glow を発表した。今度ボトルに記された名は、世間が彼女を呼ぶ親しい愛称で、そのまわりの像は絶頂期のポップスターのものだった。Glow のあと、歌手や俳優やスポーツ選手が自分の香水を持つことは、しだいに当たり前になった。毎年、名が増えていった。
公平に言えば、こうしたボトルの多くは真剣につくられている。その背後には、職業としての調香師と、研究室を備えた大きな会社がある。香りの選択に深く関わるセレブリティもいる。名を貸すだけの人もいる。買う人には、たいていどちらなのか見分けがつかない。
この波は、初めて香水を買う多くの人に扉を開きもした。ある歌手の若いファンが、聞き慣れた名に惹かれて香水売り場へ歩み寄り、そこから香りに注意を向けはじめることもある。鼻へ至る道のすべてが本を通る必要はない。
売り手は顔
たいていの香水では、買うことへの誘いは、素材、調香師、場所についての物語を通る。セレブリティの香水では、顔を通る。広告は香りを説明しなくてよい。その人を見せさえすればよい。
これは業界の一般的な真実をあらわにする。香りは、それだけではとても売りにくい。画面にも写真にも現れない。像がその代理として前に出る。セレブリティの香水は、それをより隠さずに行っているだけだ。
同じ理由で、こうしたボトルはしばしばひとつの時期と結びつく。その人の像が変わると、香りは別の意味を帯びる。ある時期の記念として残されるボトルもある。静かに棚を去るボトルもある。
像の痕跡
Penta は香りを、起きた何かの痕跡として理解する。ふつう、その何かは物だ。火をくぐった葉、時をくぐった木。セレブリティの香水は別の可能性を示す。起きたことが像であることもある。多くの人の記憶に一度に押しつけられた、ひとつの顔。
何年もたってそうしたボトルを嗅ぐとき、私たちは素材を思い出さない。思い出すのは一枚のポスター、一曲の歌、十五歳の夏。香りは像を運び、像は嗅ぐ人自身の人生のひとときを運ぶ。
1960年にアート・シェイが意図せずとらえたのは、おそらくこれだった。身をかがめて嗅ぐスターと、その写真を見て、香りのことは考えずにスターを見つめる人々。像が先に来る。香りはあとに続き、ときにもっと長く残る。