エッセイ · 嗅覚アート
香りの批評。見えないものについて書く。
Scent criticism. Writing about the invisible.
言葉が目の仕事をしなければならない。
ルドニツカと、作り手の内側からの美学
批評家が外から書きはじめる前に、自らの仕事を芸術として書こうとした調香師たちがいた。エドモン・ルドニツカ(Edmond Roudnitska)もそのひとり。1966年に Dior のために Eau Sauvage をつくり、文章も書いた。1977年の「L'Esthétique en question」もそのひとつである。
ルドニツカの主張は単純で、かなり大胆だった。香水は絵画や音楽と同じく、美の基準で評価できる。心地よいかどうか、成功したかどうかだけではない。形はあるか。考えはあるか。均衡を保っているか。
業界の内側から書くことには、大きな利点がある。書き手が素材を知っていることだ。限界もある。書き手が作り手の側に立っていることだ。本来の意味での批評には、もうひとつの声が要る。香りを嗅ぐ人の側に立つ声である。
香りに星をつける
2008年、ルカ・トゥリン(Luca Turin)とタニア・サンチェス(Tania Sanchez)は「Perfumes: The Guide」を出版した。それまで公然とはほとんど誰もしなかったことを、この本はした。市販の非常に多くの香水に短い評を書き、映画のように星で採点したのである。
この本が記憶に残ったのは、星のためだけではない。声のためだった。ふたりの著者は、イメージ、比較、ユーモア、率直さによって香りを書いた。美しいと思ったものは惜しみなく褒め、平板だと思ったものはためらわずにそう書いた。読者は同意しないこともあった。それでも、書き手がどこに立っているかは常にわかった。
同じころ、チャンドラー・バー(Chandler Burr)は The New York Times に香水について書き、香りを他の芸術と同じ紙面に置いた。2012年、バーはニューヨークの Museum of Arts and Design で「The Art of Scent」を企画した。1889年の Jicky から2012年までの12の香りの作品を、芸術創造の主要な媒体として示す展覧会である。
両方の側に公平であること
香りの批評には難しい問いがある。鼻はひとりずつ違う。香りは肌、天気、嗅ぐ瞬間によって変わる。評が印刷されたあとで、瓶の処方が変えられることもある。今日の星が、来年の瓶にも当てはまるとは限らない。
調香師は、そっけない否定が数か月の仕事に対して不公平だと感じることがある。読者は、長い賛辞は確かめにくいと感じることがある。どちらの感覚にも根拠がある。よい批評はそれを消せない。できるのは、どう嗅いだのかを明かすことだけだ。どこで、どれくらいの時間、何と比べて。
今日では本のほかに、香りを専門とする雑誌もある。フランスの Nez のように、調香師、歴史家、科学者の文章を並べて載せる雑誌だ。香りの批評は少しずつ共通の言葉を見つけつつある。ほかの芸術より遅い。だが以前よりは明瞭だ。
目の仕事をする言葉
映画評論家は、評の横にスチール写真を置ける。美術評論家には絵の写真がある。香りについて書く人には、文章の横に置くものが何もない。読者は言葉を信じるか、自分で嗅ぎに行くしかない。
だから香りの批評は、言葉の難しい鍛錬になる。言葉に目の仕事をさせるのだ。像をもたない感覚から、色、質感、温度、動きを生み出す。うまくいけば、それは一本の瓶を評価する以上のことをする。読む人に、注意の向け方を教える。よい描写は同意を強いない。嗅ぐための道を、もうひとつ開く。
おそらくそれが、最も長く残る価値だろう。星は間違えることがある。よい一文は残る。そして次に嗅ぐとき、感じたものを表す言葉がひとつ増えている。