エッセイ · 嗅覚アート
マチルド・ローラン。メゾンの鼻。
Mathilde Laurent. The in-house nose.
形のないものにも、立つ場所がいる。
Guerlain から Cartier へ
マチルド・ローランは、1990年代の終わりに注目されはじめた。学校を出てすぐ Guerlain に入り、この世界が目をとめるデビューを飾った。彼女は、そのメゾンに10年以上とどまった。
2005年、彼女は Cartier の香水のクリエイターになった。Cartier は宝飾のメゾンである。その名を築いたのは、指輪、ブレスレット、時計。重さを量られ、寸法を測られ、1ミリの何分の一という単位で削られる物たちだ。
このメゾンでは、1933年から1970年までクリエイティブ・ディレクターを務め、自らも「パンサー」とあだ名されたジャンヌ・トゥーサン(Jeanne Toussaint)以来、パンサーが紋章となっている。La Panthère はまた、ローランが Cartier で最初に署名した香水のひとつの名でもある。メゾンに入ってまだ間もないころにその紋章に取り組むことは、めまいのするようなことだったと彼女は語っている。
金と石でできた紋章を、今度は手に持てないもので書き直す。
まれな立場:メゾン専属の調香師
たいていの調香師は、素材と香りをつくる会社のために働いている。多くのブランドから依頼を受け、多くの案をつくり、最後までどれが選ばれるかわからないことも多い。メゾン専属の調香師は違う。ひとつのメゾンのためだけに働く。
2020年の雑誌 Nez との対話で、ローランはその違いを率直に語った。ほかの人が選べるように多くのアイデアを練る必要はなく、ひとつだけでいい。香水はひとつの問いのためにつくられるのであって、競争のためではない。
彼女は、仕事の内側についても語った。マーケティング、経営陣、そして自分のアシスタントの近くで、上下関係ではなく、ともに考える精神で仕事をする。香水がほぼできあがると、役員会に出す前に、チームでいっしょにそれを嗅ぐ。今も彼女は、資源を得るため、そしてこの世界の新しい動きに触れつづけるために、大手の香料会社と仕事をしている。
この立場は、業界の多くの人が持たないものを彼女に与える。ひとつの家で長く過ごす時間。そして、多くの香水が年月を越えて互いに語り合う機会。
金属と石のそばの香り
宝飾の家では、価値は持続と結びついている。石が愛されるのは変わらないから。金が愛されるのは曇らないから。人はそれを世代から世代へ受け渡す。
香りはその逆をいく。肌の上で刻々と変わり、やがて消える。昨日まとった香りを相続する人はいない。香りを石と同じ家に置くことは、二つの在り方を並べることだ。ひとつは留まり、ひとつは去る。
2025年、Paris Perfume Week で、ローランは Nez が企画した円卓に加わった。テーマは、宝飾の家がそれぞれの世界をどう香りに翻訳するか。この問いは、Cartier での二十年のあいだ、ずっと彼女についてきたのかもしれない。香りは、硬い物のふりをせずに、その精神を運べるのか。
彼女の正確な答えを Penta は知らない。けれど問いは明快で、持ち続ける価値がある。
香りをひとつの芸術として語る
ローランは香水をつくるだけではない。香水について語り、書く。2022年、Nez は彼女の著書『Sentir le sens』を出版した。Cartier のためには Inspire というポッドキャストを持ち、芸術家、歴史家、科学者を招いて、ひとつの香水を一緒に嗅ぎ、そのまわりで語り合う。第1回「Une panthère」には、ピアニスト、俳優、歴史家、そしてパリ植物園(Jardin des Plantes)付属動物園の獣医が集まった。
Nez にポッドキャストについて語ったとき、彼女は、エドモン・ルドニツカ(Edmond Roudnitska)が先に開いた道を歩み続けているのだと言った。香水の芸術を、それ自体ひとつの芸術として扱うこと。香りを愛する多くの人にとって、調香師に会うことは芸術家や作家に会うことに近い、とも語った。
この考えは別の場所でも試されている。展覧会 The Art of Scent は、作品を掛けるように香水を展示した。ボトルもブランドもなしに。ローランは同じようなことを家の内側から行う。金と石のそばにあっても、香りに固有の声を残しておく。