エッセイ · 現代アート

内藤礼、西沢立衛「Matrix」

Rei Naito, Ryue Nishizawa. Matrix.

水は自ら道を見つける。人はただ座って見ている。

内藤礼と西沢立衛「Matrix」。豊島の棚田のなかにある、しずく形の白いコンクリートの殻。空へ開いたふたつの開口

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コンクリートのひとしずく

日本の瀬戸内海に浮かぶ豊島。海を見下ろす丘の斜面に、低く白い曲面の構造物がある。遠くからは、いま落ちて止まったばかりの水滴のように見える。2010年に開館した豊島美術館である。

ふたりの仕事である。建築家の西沢立衛が殻を建てた。アーティストの内藤礼が、内部の作品「Matrix」を作った。美術館が収めるのは、この一作だけ。

ベネッセアートサイト直島によれば、コンクリートの殻はおよそ40×60メートル、最も高いところで4.3メートル。柱は一本もない。曲面の屋根が自らを支える。内部は壁も角もない、ひと続きの空間。

屋根にはふたつの楕円形の開口が切られている。そこから外の世界の風、音、光が入る。ガラスはない。鳥が上を渡り、葉が落ち、雨が入ることもある。

床から湧く水

「Matrix」は壁に掛からない。床に横たわる。コンクリートの小さな穴から、水が一日中、少しずつ湧き出る。水滴は大きくなり、やがてほとんど見えない床の傾きに沿って転がりはじめる。

速く動く水滴もあれば、ゆっくりのものもある。ふたつが出会うと合わさり、大きく、重く、速くなる。ときに小さな水たまりに集まり、広がり、また別の穴に流れこんで消える。

場所によって、来館者は靴を脱ぐ。写真も動画もスケッチもない。電話は使わない。規則が果たすことはひとつ。人に自分の目で見させ、待たせること。

多くの人が床に座り、水滴と同じ高さになる。横たわる人もいる。何時間も黙って座る人もいる。

空とともに変わる作品

開口が空に向いているので、「Matrix」は二度と同じにならない。強い日差しの下では水がきらめき、屋根の影が床にくっきり落ちる。曇りの日には空間全体がやわらぎ、コンクリートの灰色が水とほとんど溶けあう。

風が水滴の道を変える。雨は上からの水を、下から湧く水に出会わせる。冬、夏、早朝、夕方。どれもが別の作品になる。

内藤礼は長年、ごく小さく、ごく軽い作品を作ってきた。一本の糸、ひと粒のガラス玉、吊るされた布切れ。それらは近くで見られることを求める。豊島で彼女は規模を反転させ、精神はそのまま保った。広い空間。そして見るべきものは、やはり小さな水滴。

西沢は建築をほとんど消し去る。柱も窓も装飾もない。殻は、大地と空のあいだのひとつの曲線にすぎない。

田と水

美術館は、放棄されていた棚田の一角に建つ。棚田は地元の住民とともに再生された。そこを歩く来館者は、白い殻を目にする前に棚田を通り過ぎる。

これは脇の細部ではない。稲は水で生きる。農家は、水が流れ、たまり、しみこむのを見ることに慣れている。「Matrix」はその注意を静かな部屋へ運びこむ。水はどこから来て、どこへ行くのか。ひとしずくが道を終えるのに、どれほどかかるのか。

ジェームズ・タレルが光を扱うやり方と比べることもできる。どちらも建築で自然の何かを縁どり、あとはそれ自身に仕事をまかせる。けれども豊島で縁どられるのは空ではない。大地と、大地が吐き出すもの。

「Matrix」が記憶に残るのは、何も新しく作らないから。水、風、光はすでにそこにあった。作品はただ、それらが見られる場所を与える。